
イベント情報「2011年5月」の記事一覧です。
5/22(日)岩手県陸前高田市内のオートキャンプ場へ非難している皆様よりリクエストがあった沖縄そば等を召し上がって頂く事が出来ました。
沖縄のメンバーから挨拶と料理の説明を行いました。


私達以外にも北海道から餃子・秋田からはコーヒーのご提供がありました。
北海道から2人が餃子を準備していらっしゃいました。(左は沖縄メンバーと参加している桑江朝千夫県議)
秋田から宮平ブロック会長のお友達が食後のコーヒー・翌朝のモーニングコーヒーの提供して頂きました。

食事を楽しんで頂いた後に、サプライズで嫁の江利奈が民謡ショーを行いました。


民謡ショーで和んだ後は、岩手県の盆踊りを皆さんに教えて頂きました。

ゆいまーる行動隊がこれまで、岩手県陸前高田市内で支援活動を行ってきて初めての炊き出しでしたが、食材や物資をご提供頂きました皆様大変ありがとうございました。
5/22(日)陸前高田市内のオートキャンプ場に非難されている皆さんにリクエスト頂いておりました、沖縄そば等の炊き出しが実現できました。
5/22(日)13:00頃到着しメンバー全員で早速、準備に取り掛かりました。
17:00に間に合うように沖縄そば班とゴーヤーチャンプルー班に分かれました。

ゴーヤーチャンプルー皆さんの口に合うと嬉しいなぁ。(沖縄JC相原)

温かい沖縄そばが出来るようにしっかり頑張ります。(八重山JCメンバー)

岩手ブロック 佐々木会長や娘さんにもお手伝いして頂きました。



沖縄そば・ゴーヤーチャンプルー・もずく・海ぶどう・サーターアンダギーの5品をご準備させて頂きました。

炊き出し班13名で頑張って全ての準備が整いました。
心を込めて作った料理を避難所の皆さんが、美味しく召し上がって頂けたら嬉しいなぁ。
ゆいまーる行動隊として、今回も(有)太陽光沖縄を代表して
5/22(日)岩手県陸前高田市内の避難所で、沖縄そば等の炊き出しに行ってきました。

5/22(日)早朝4:00品川のホテル前にて朝礼後、早速岩手県へ向かって出発!

今回は車2台にメンバー12名で向かいました。前日沖縄から出発して3時間程度の睡眠しか取れていませんが安全運転で頑張ります。
・・・・・ひたすら東北自動車道を走ること7時間30分。
岩手県陸前高田災害ボランティアセンターに到着しました。
宮平 貴裕(宜野湾JC)
仲嶺 司(浦添JC)
砂川 卓司(島尻JC)
相原 義輝(沖縄JC)
上江洲 伸一郎(沖縄JC)
上江洲 江利奈(沖縄JC)
黒島 栄作(八重山JC)
漢那 憲隆(八重山JC)
西表 晋作(八重山JC)
桃原 用壮(八重山JC)
平得 修一郎(八重山JC)
座喜味 盛行(八重山JC)

到着後、沖縄から持ち込んだ安全靴やヘルメットを全員で倉庫へ収めてセンターをあとにしました。
これで午前中のミッション終了です。



車内で弁当を食べ、すぐに炊き出しの準備をしに陸前高田市内の避難所へ移動しました。
岩手に来て今日で10日目です。
いよいよ明日沖縄に帰ります。
地元の人達とたくさん会話をする事が出来ました。皆に笑顔になってもらおうと思っていましたが、地元の人達の明るさや強さを感じて、逆に私が勇気付けられたような感じです。
皆さんが町を再建させるお手伝いに少しでもなったでしょうか?
たった10日間でしたが岩手県陸前高田の皆さん本当にお世話になりました。
4月28日は四十九日です。
今回の津波でお亡くなりになった皆様のご冥福を心よりお祈りいたします。
陸前高田の大石公民館では地元の人達が独自で銭湯を準備して毎日、お風呂を楽しみに暮らしています。
そこには自前のカフェもあり地元の憩いの場所として毎日頑張っています。


米崎保育園では、集まりすぎた物資を地域の人達に使って頂く為にバザーを行っています。

ガソリンスタンドもオープンしました。

津波で海水をかぶった桜もしっかりと咲きました。

少しずつ少しずつ何年何十年掛かっても陸前高田の皆さんが自分の手で町を再建させる日を楽しみにしております。
岩手県陸前高田市に4/16~入って5日目になりました。
陸前高田市は町全体が津波に流されてしまいましたので、ボランティアの復旧活動はほとんどなくて、自衛隊や行政による撤去作業が急ピッチで毎日行われえおります。
私たちが車で移動する際に普通に目に入ってくる風景です。
早速ですが、ボランティアセンターを出発して支援活動先へ移動します。
皆さん、これが岩手県陸前高田市の現状です。
川のかなに家や車があって、町があった場所には何にも残っていない!
これが本当に僕達が住んでる日本だろうかと思ってしまいました。



しかし、地元の人達はこの現実を理解していつの日かまた、この町を再建させようとしています。
この人達はどこにも逃げたくないんだと覚悟を決めている事をひしひしと肌で感じました。

こんな姿になっても、場所を変えて誰かの為に薬を届けようとしている人達がいる限りこの町は再建するだろうと思いました。
何年掛かっても!やり遂げるでしょう